「連弾」について

こんな風に手を交差してみたり。
Up beat・Down beatを「弱拍・強拍」と訳したり、Dominanteに 「属」の字を当てたり、Atonalityを「無調」と訳したり。とかく音楽用語における日本語の現在には 不満を抱く僕ですが、ただ「for Piano four hands」に対する「連弾」という語だけは良い言葉だな と思います。作曲家として、そしてピアノ・デュオ奏者として、2台ピアノ作品と連弾作品とを両方とも 書いた経験も弾いた経験もある僕として言わせて頂ければ、同じ「ピアノ二重奏」として括るには、 この二つはあまりにも必要とされる技術が違うと思われるのです。だから「連弾」と「2台」を言葉として も概念としても厳密に分けるのは大正解です。大賛成です。日本語は正しいのです。他の音楽用語も同様に 国語審議会に通して直していただきたいと思います。

さて、具体的にどのように違うのか。2台は、2人のソロとして考えれば 結構簡単で、書くのも弾くのも簡単です。特に書くほうは(練習しなくて済むので)非常に簡単です。 それに比べ連弾は独特の書き方をしなければならない。例えて言えば連弾は弦楽四重奏とオーケストラの中間な 感じだと言えば分かりやすいでしょうか。オーケストラほど空間を拡げてしまっては単に空虚になってしまうから、 声部の充足を目指すうえで弦楽四重奏に近づけなければならない。しかし、弦楽四重奏ほど緻密になってしまっ ては単に窮屈に、しかもうるさくなるだけだから、頭のどこかでオーケストレーションの発想を持たなければならない。

ゆえに昔の作曲家がオーケストラ作品と連弾とを結びつけてスケッチしたり、 または編曲したり、逆に連弾作品をオーケストラに編曲したり、そのようにして修行したのも理由のあることです。 弾き手としても、連弾に固有の書き方を実際に響きとして実現させるためには連弾固有の弾き方をしなければならない。 連弾作品は弦楽四重奏とオーケストラの中間のような響きを目指さなくてはならない…しかもピアノで。 二人の音は異質すぎてもいけないし、同質でもいけない。別人でなければならないけど赤の他人でもよろしくない。 ソリスト2人で連弾を弾くなんてもってのほか。

私たちデュオ・フレッシェは、「2台借りるのって金かかるんじゃね?」という理由だけでなく、その ような音楽的理由からも、もっぱら「連弾」に魅力を感じている次第なのです。で、連弾の魅力を 十二分に表現するには、純粋にピアノ出身よりも作曲出身のほうが有利なんじゃないか、という、 実に自分達にとって都合の良い考えで、新たなレパートリーの発掘だけでなく、もはや定番とも言える 有名曲の新たな側面…それは、今の時代だからこそ、また作曲出身だからこそ可能な、演奏史に捉われない 作品解釈で素直に作品の素晴らしさに感動しましょう。というテーマで活動しております。 このサイトでは、そんな私たちの演奏活動、作・編曲活動の一端をご紹介させて頂いておりますので、 ぜひご覧ください。

連弾に馴染みの無かった方には聴いて喜んでもらいたいし、知らない曲を知ることがどれほどエキサイティング なのかも知って欲しい。幸い、二人とも昭和30年代生まれにウケの良い顔立ちをしております。 おじいちゃんには美人さん、おばあちゃんにはイケメンさんと認知されて生きてまいりました。 たぶん舞台に乗っててもムサくるしくは無いと自負しております。そして、連弾に馴染みの深かった方にも、 (それが正しいとか正しくないとかではなく)作曲家の視線と演奏家の視線がどれくらい違うのか、 そんな議論が少しでも湧き起こってくれれば、僕たちの活動の甲斐はあったな、と思います。

デュオ・フレッシェの仲間たちのサイトをご紹介します。